2008年04月27日

思考の訓練

 このブログでは、「思考する」ということをいろいろ議論してきた。
 ところで、人はいつどうやって思考することを覚えるのか?
 生まれたばかりの赤ちゃんが思考できるわけではない。ということは、本能の助けがあるにせよ、なんらかの訓練によって思考できるようになるのだろう。その訓練とはなんなのか?
 猫だって生まれたときから狩ができるわけではない。では猫はどうやって狩ができるようになるのだろう?

 お正月に実家に帰省したとき、しゃべることを覚えたばかりの甥っ子が、いろんなものを指差しては、大人が返す単語をまねしてしゃべるのをうれしそうに延々と繰り返していた。言葉をしゃべる、聞く、まねしてしゃべる、これがただ単純に楽しいからやっている。
 猫の場合は動くものにじゃれるのが大好きだ。じゃれるのが嫌いな子猫はいないから、じゃれると快感を感じるということが本能に組み込まれているんだろう。本能のままに楽しいからじゃれる、を繰り返すうちに、狩の基礎訓練が出来ていく。
 人間の場合も同じように、言葉をしゃべる、聞くことに快感を感じるということがきっと本能に組み込まれているのに違いない。そして、言葉をしゃべる、聞くを繰り返すうちに、言葉で物事を定義して、理解し、考えて、伝えるという、人間固有の思考の基礎訓練ができていく。

 思考は、やはり「言葉」で訓練するものなのだ。
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2008年04月12日

「見る」と「観る」

 先日、知人と会話しているときに、「若い子に病気の動物の状況をチェックさせていたのに、変化の予兆を見逃してしまって、危うく事故になるところだった。ちゃんと見ててといってるのにどうして気づかないんだろう?」という話がでた。見ているのに見ていない、これはどういうことなのか。予兆を見つけられるような見方を指導するにはどうしたらいいのだろうか?

 たとえば、ここに一見すると同じ2枚のイラストが並べてあるとする。この2枚を見比べるときの違いを考えてみよう。

(1)2枚のイラストがただ並べてあるだけの場合
 この2枚をただ見ると、「同じイラスト」だと思い、それ以上詳しく見ようとは思わない。

(2)2枚のイラストの上に「間違い探し」と書いてある場合
 この2枚のイラストのどこかに違いがあると思って、2枚のイラストを部分ごとに見比べていく。それによってたとえば違いが5つ見つかったとして、それ以上みつからなければあきらめて、さらに探そうとはしない。

(3)2枚のイラストの上に「7つの間違い探し」と書いてある場合
 目標がはっきりしているので、さらに詳細な部分を比較しながら7つ見つかるまで根気よく探していく。
 また、イラストがピースに別れていて、各ピースに1つ以上間違いがないと分かっている場合や、イラストの間違いがある範囲が絞り込まれている場合は、さらに効率よく間違いを見つけられる。

 (1)は違いを見つけようと思ってみていない。漠然と全体をみているのでこれを「見る」と定義しよう。
(2)や(3)は、違いを見つける目的で、部分に分けて比較をしている。観察や観測に通じる見方なのでこれを「観る」と定義しよう。

 辞書の定義によれば、「見る」と「観る」はそれぞれ以下の意味に該当する。
「見る」→視覚によって、物の形・色・様子などを知覚する。
「観る」→判断を下すために、物事の状態などを調べる。
(三省堂提供「大辞林 第二版」)

 つまり、違いを見つけるには、「見る」のではなく「観る」ことが必要であり、「観る」には必ず何かと見比べる必要がある。
 
 では何と見比べるのか?

 変化の予兆を見つけるには、過去のある時点の状態と今の状態とを見比べなければならない。そのためには、今見ているときに、未来に比較することを前提に、見ているものを分解して状態を観察しておかなければならない。
 経験を積んでいれば、変化がどこに現れるか予想がつくので、その部分に着目して観察しておくことができる。しかし、経験がない場合はそれができない。
 従って、経験のない人を指導する場合は、予想される変化を具体的に示して、どこに着目して観察すればよいかを与える必要があるのである。

 これによって(1)の状態から(2)の状態にすることは可能と思われる。

 では、(2)の状態から(3)の状態にするにはどのように指導すればよいのだろうか。

 (3)の状態にするには、違いが見つかるまであきらめずに根気よくがんばる動機を与える必要がある。
 間違い探しの例のように「7つ」というような具体的な数値目標が与えられるならそれが一番だが、それが難しいときはどんな方法が考えられるだろうか?
 ひとつは、具体的な目標のかわりになる目安となる情報を与えるという方法が考えられる。患者の観察の例でいえば、こういう状態になった場合は、それからどのくらい時間で変化がでるはず、というような情報を与える。
 もうひとつは、違いを見つけた、または見逃した場合の影響度を伝えることが考えられる。間違い探しの例で言えば、全部見つけたら100万円もらえる!となったら、全部でいくつあるかは知らなくても一生懸命探す、というのと同じ理屈である。患者の観察の例でいえば、たとえば、最初の変化が観察されてから数時間以内に処置しないと命に関わる、というような情報をあたえる。

 経験者は自らの経験に基づいて自ら観察の目標や動機を作り出すことができる。
 しかし、経験がない人にはそれが出来ないので、目標や動機も指導者が与えてあげる必要があるのである。
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