2006年07月24日

「関係と分解」は人間の創造物?

 確かに、推論が初めにあってそれを補強するための事実としての「例」を挙げるときに使われるだけでなく、koppeさんが指摘したように、「例」という事実を手がかりにして推論を組み立てる場合もあるよね。でも、この二つの「例」の使われ方、結局、前者が演繹法であり、後者が帰納法であると言えるのではないのでしょうか。どちらの捉え方をしても、「関係と分解」が推論かつ未来時制であり、「例」が事実かつ現在完了時制であることには変わりはないと思います。
 また、関係と分解は人間の頭の中の出来事であって、そのままでは人間の頭の外界とはまったく無縁のものが構築される可能性があると思います。逆に言うと、外界と関係ない概念(関係と分解)が構築できること自体はすごいことだと思います。無から有をいくらでも作り出せるんだから。だからこそ、「例」というもので人間の頭の外界と結びつける必要があるのではないのでしょうか。
 ちなみに、この「関係と分解」が人間の頭の中で外界と関係なく行われることの具体例を挙げてみましょう。
M・フーコーという哲学者が「言葉と物」と言う本の中で、昔の「中国の百科事典」(この百科事典は一説によるとボルヘスという人の創作という話もありますが)にはこんな動物の分類があったということを紹介しています。

動物の分類:
  皇帝に属すもの
  芳香を放つもの
  飼い慣らされたもの
  乳呑み豚
  人魚
  お話に出てくるもの
  放し飼いの犬
  この分類自体に含まれるもの
  気違いのように騒ぐもの
  数えきれぬもの
  騾馬の毛の極細の筆で描かれたもの
  その他
  今しがた壷をこわしたもの
  遠くから蝿のように見えるもの

分類というものは、関係と分解によって体系化されたものだと思いますが、このような分類を現在において真顔で言うと笑われてしまいますよね。でも、当時は最高級の学問だったんですよ。分類が時代とともに変化していることがわかりますね。脳の外界にある動物というものはほとんど変化していないにもかかわらずこれだけ分類の仕方が変わっているのです。この例を見ても、関係と分解が外界の事実とは無関係に人間の頭の中で定義されていることが分かりますよね。





posted by mokuren at 00:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 10.具体例とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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